プロフィール

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〜僕の半生とこれからについて〜

 

名前は、
箕浦寿治(みのうらとしはる)
みんなからは「みの」って呼ばれてる。

 

1991年、8月27日(乙女座)O型。
現在29歳。

 

僕は愛知県大府市で生まれ、
男女の双子で4人兄弟の末っ子。

 

8歳の時には突然、父親がお金を持ち出して蒸発し、
両親が離婚をすることに。

 

母親が4人のこどもを一人で支えている状況の中・・・

 

「愛されたい」

 

という気持ちを感じながらも、
口に出すことはできなくて。

 

小学生の時なんて、門限を破ってしまい「早く帰らなきゃ!」
と急ぐあまりに・・・

 

乗用車に飛び込んでしまう事件も。

生死を彷徨う交通事故に遭ったのに
”迷惑をかけたくない”という一心で


そのまま歩いて帰宅しようとするも
運転手に止められ、救急車で送還。

 

駆けつけてくれた母親に対し、
「怒られたくない。愛されなくなってしまう!」
という気持ちが強く、

目も合わせず会話もしなかったと聞いています(笑)

結果、全身打撲で右手の骨折。
右目以外ガーゼ。

 

まるでミイラのようなビジュアルになってしまった時期でした。

 

中学、高校、大学でも、
自分の居場所を感じることができず
家でもあまり家族と関わらずに過ごしたため、
家族との溝は深まるばかり。

 

 

そして、就職について考える時期に。

 

 

消防士になろうと筋トレに励んでいたけれども、
急に教員に路線変更。

 

理由は「教員になれ!」
とメッセージが降ってきたから。

 

今までで、
これほどに大きな衝撃はなかったと思う。雷みたいだった。

2ヶ月後に控えた教員採用試験では
消防士の試験とは全く違う内容だったけど・・・

 

一次試験をクリアして、
二次試験。

小論文
クレペリン
筆記
面接

 

を突破し、合格!

 

2014年4月晴れて愛知の教員になったんです。

 

人生で初めて教壇に立ち、
自分のクラスの子どもたちを目の前にした4月7日のこと。

 

僕は・・・

 

なんと・・・!!!!


ワクワクもドキドキもしてなかった

 

自分に教員ができるのか・・・?

ただただ、
不安ばかりが押し寄せてくるスタートでした。

 

そして、教員になって
母から自分の存在を認めてもらえると思っていたけれど、

母親から言われた言葉はたった一言
「おめでとう」だけ。

1年目は無難にやり過ごすも、
常に人の目は気にするし、
人から嫌われたくなくて本音は言えなかった。

 

やはり、ここでも愛されたかったんだと思う。

 

2年目で数えきれない仕事の量をもらい、良い人を演じて生きていたので「断る」勇気がなかった。

土日も出勤して、日付が変わる頃に家に帰る日も少なくなくて。
そうして半年過ぎた時・・・

「このまま、仕事を続けたら死ぬ。
だったら今死んでも一緒だよな…楽になりたい」


ついに、
そう思うように。
俗に言う、
心の病になっていた。

 

誰にも言わずに自殺を決意し、
飛び降りと首吊りを試みたけど、
できませんでした。

 

ビルの6階からずっと朝までず〜っと地面の模様と未来を重ねて眺めてた。

 

「死ぬ勇気すらないのか…」
と、家に帰ると、
「大丈夫?」
と放心状態の自分を見て母が心配をしてくれた。

 

その時

 

初めて心の声が出た。

 

「お母さん、僕、仕事が辛い。病院に行きたい」

母は何も言わず、仕事を休んで病院に連れて行ってくれた。

 

病院に行き、経緯を話すと、即入院。

 

診断名は適応障害。
後に発達障害(ADHD)と診断される。

家に帰らせてもらえず、
精神科の、1番大変なフロアの中の、牢屋みたいなところに閉じ止められました。

こちらからのノブはない。
一室の中には無造作に置かれた布団と、パーテーションで区切られたトイレ。

 

紐や刃物など、自殺を図るためのものは全部没収。
もちろん携帯も。

 

その時に何よりも、
なんだこの場所は!?と思うこともなく、

 

「あぁ。よかった。これでもう僕は学校に行かなくていいんだあ・・・」
と、ホッとしたのを今でも覚えています。

 

そこから、仕事のことは考えずに過ごす毎日。

 

学校から告げられたのは
1年で帰ってきて欲しい」
という連絡でした。

 

 

その言葉を信頼と受け取った僕は
また、復帰するために頑張ることを選びました。

 

 

晴れて1年後戻るも、
職場の雰囲気や、常識の枠にはめようとする上司の言葉に気持ちが悪くなりました。

 

 

「僕の居場所はここじゃないかも。」
とやっと感じ、再度休職。

 

 

事に戻るためではなく、
自分と向き合って、新しく仕事を探すための休みにしよう
と決意。

 

いくら自分と向き合っても、
過去と向き合っても、
出てくる思考は、

 

「無価値感」
「自己否定」
「自己無能感」

 

「自分って生きている価値あるのかな…??」
自殺する時よりもなによりもこの時期が1番辛かった。

 

そう想っている時に僕の周りの仲間が、声をかけてくれました。

 

「うちの仕事、人手が足りないからボランティアしてよ!」
「新しく保育園建てるんだけど、企画会議から参加してみてよ!」
「暇なら遊ぼうよ」

 

僕を必要としてくれる人なんかいるんだ…
そう感じた瞬間でした。

 

 

その中で関わらせて頂いたのが、
発達障害の子どもと関わるデイサービス。

 

 

「発達障害の診断を受けた自分はここで働ければ何かわかるかも…」
と感じて、就職することに。

無邪気に素直に遊ぶ子どもたちをみていると、
子ども時代の自分が蘇ってくるんです・・・

 

同時に
母親に愛されていなかったことも。

 

当時の彼女との別れを機に、
自分の心の限界も感じ、
母親と向き合おうと決意しました。

 

 

電話をかけて

「僕のことを愛してる?」と訊くと・・・

「何いってるの?愛してるに決まってるでしょ?」
といった母親に対して、
内側の子どもの心をぶつけました。

 


「愛されたかった!なんで愛してくれなかったの!」

 

お母さんは、申し訳なさそうに、
お仕事が忙しくかったこと、
その時子どもたちを食べさせて、住むところを提供するくらいしか、
愛が伝えられなかったことを話してくれました。

 

お互い号泣して、謝り合った。

 

「自分は愛されてなかったんじゃない。愛されていたけど、
こども心にはそれを感じられなかっただけなんだ」

 

そう気づいた瞬間、心の扉が開いた感覚になったんです。

自分の感情や過去の嫌なことダメだと想っていたこと、
それら全てを許せるような気がしました。

 

全て愛情が包んでくれるそんな感覚。

 

 

そこから、周りの環境がガラリと変わっていきました。

同時に僕の行動も変わっていきました。

音信不通の父親に会いに行ったり、
「楽読」という速読スクールに入って、心から信頼できる仲間に出逢い、
生涯のパートナーとも出逢うことができました。

 

 

今までの経験を踏まえて・・・

僕と同じように悩む人
心の声に耳を傾けるのが辛い人

自分の人生の価値を見出せない人
人生をより輝かせたい人

そんな人たちに寄り添いたいと感じて
リーディングを始めました。

 

今では、
波動を癒す光を送ることや、

神様や宇宙の言葉を下ろすこともできます。

活動としては、

 

みの学校
個人セッション
光を送る、”光のHUG”
なまえもじ
週に4回のライブ配信
沖縄案内”みのリアル”

 

をやっています。

 

僕と関わってくれている人は、
今、幸せで、満たされている。

 

今、悩んでいても、
自分の内側に気付けば、

自分と少しずつ向き合っていけば、必ず幸せになれる。

 

そうして、僕の”愛と光”を伝えて
広げるお手伝いをしています。

 

 

 

 

みのとともに

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